「ポジティブ思考」
なんだか素敵な響きですよね。
でも私は今、ポジティブさだけでは少し足りない気がしています。
美しいバラには棘があり、
お汁粉にはひとつまみの塩で甘さが引き立つ。
このように、反対の要素があるからこそ
絶妙なバランスになったり、
モノゴトが深まるようにも思います。
人生も同じかもしれません。
それに、私はポジティブについて、
少し冷静な感覚でいたい。
そんな風に思っています。
本当は改善する必要のある課題を、
ポジティブをいうコーティングを纏って、
問題を先送りしてしまう可能性もあるからです。
そう思うのは、過去に、
ポジティブを都合よく理解して、
遠回りして来た経験があったから…。
私のケースだと、ポジティブでいることが、
見たくない現実から目を背ける
手段になっていたのです。
実は、私には「超ポジティブ思考」
だった時期がありました。
嫌なことが起きても無理やり良い意味を見つける。
(というか、すり替える)
少しでもネガティブな感情が出てきたら、
すぐに前向きな言葉に書き換える。
とにかく明るく、前向きに。
そんな毎日を送っていました。
今となって思うのは、余程、何かへの
恐怖心が強かったのだと思います。
当時は、恐怖心を感じずに済む
素晴らしいスキルが手に入ったと大満足でした。
ところが次第に、
超ポジティブ思考では解決できなくなったのです。
見て見ぬふりをした問題は、なくなりません。
むしろ時間を置いて、形を変えて、
また目の前に現れるのです。
しかも以前より厄介な姿になって。
同じような悩みや出来事が繰り返される中で、
私はようやく気づきました。
「これは一度ちゃんと向き合わないと、
終わらないのかもしれない」
そうして恐る恐る、
自分の中のネガティブな感情を見つめることに。
すると面白いことが起こりました。
向き合う前はとても怖かったのに、
実際に見てみると、
「えっ?私がこんなに恐れていたものって、これだけ?」
と思うことが少なくなかったのです。
恐れの実態は案外ショボい。笑
もちろん、向き合う時やその前は怖いのです。

まるで中身のわからない箱に手を突っ込み、
蛇だと思ったら、こんにゃくだった…
そんな拍子抜け感でした。
このように私たちは、
正体が見えないものに対して、
ネガティブな想像を膨らませる天才みたいです。
生き延びるための本能の成せるわざ、
なのでしょう。
見ないようにしている間に、
不安はどんどん大きくなります。
けれど、実際に向き合ってみると、
思っていたほどではなかった。
または冷静に考えれば、対処できそう。
そんな内容は案外多いものです。
今では、なんとも言えない不安や恐怖を感じたら、
あえてその正体を見に行くようにしています。
すると、自分の思い込みに気づいたり、
具体的な解決策が見えてきたりするのです。
だから私は、ネガティブな感情を悪者ではなく、
次に進むためのナビゲーターだと思っています。
ネガティブな感情を無理に消そうとするより、
「私は何を恐れているんだろう?」
「本当にそうなるのかな?」と
少し立ち止まってみる。
すると、感情に振り回されるのではなく、
感情を理解する側に回れるようになります。
不思議なことに、
そうやって現実を見られるようになると、
本当の意味で前向きになれるのです。
(これこそ、真のポジティブ!)
なぜなら、問題を見ないふりしている
ポジティブさではなく、
現実を理解したうえでの安心感が生まれるから。
私は今でも不安になったり、落ち込むことも、
もちろんあります。
でもそんな時は、
「また何か大切なサインが来ているのかもしれないな」
と思うようにしています。
(ちなみに私は、不安や落ち込みを感じても
自分を責めません。
生き延びるために必要な感情だからです。)
もし今、モヤモヤや不安を感じているなら、
それを無理に追い払おうとしなくても大丈夫。
その感情は、あなたを困らせるためではなく、
次の一歩を教えてくれる
案内役なのかもしれません。
そして覚えておいてほしいのです。
あなたが恐れているものの正体は、
案外ショボいかもしれない、と。
だからこそ、ネガティブな感情から
逃げるのではなく、
少しだけ勇気を出して眺めてみる。
その先に、思っている以上の安心感や
自由さが待っているかもしれません。
不安やモヤモヤの多くは、
出来事そのものではなく、
それをどう解釈しているかという
「思考のクセ」から生まれることがあります。
次回のMLHでは、その思考との付き合い方に
ついてお届けします。

コメント